Serial Foreigner

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私が英語をがんばろうと思ったきっかけ、そしてやったこと。


 

「どうやったら英語を身につけられるんですか?」

こういう質問を頻繁にいただきます。10年前ぐらいから(笑)。

「とにかく練習すれば身につきますよ!」などといった、曖昧な(でも真実)お返事をしてきたのですが、つい最近自分が英語をがんばろうと思ったきっかけについて人に話す機会があって、結構興味深く聞いていただいたので、ここにも書いてみたいと思います。

インターネットで世界への扉が開いた

私が英語をがんばろうと思った最初の大きなきっかけは、実はインターネットの登場でした。

1998年に、高校生だった私はインターネットというものに出会って、いたく感動しました。「すごい!これで私は世界中の人と会話ができる!」と。私は当時メッセンジャーとして人気だったICQ(フロッピーと同様に、きっと二十歳以下の方は知らないですよね)を使って、テレホーダイという夜中の電話が使い放題のNTTのプランをお小遣いから捻出し(ダイヤル回線でネットにつないでましたのでw)、私はインターネットにはまってました。

当時、高校生だった私にとっては、ネットから広がっていく世界はとにかくエキサイティングなものでした。色々な英語のサイトを閲覧したり、興味のあるコミュニティのサイトの掲示板に自分の意見を書き込んでみたり、ICQでつながった知らない外国人とおしゃべりしてみたり…。学校で習った英語の知識を駆使して、読んだり、書いたりしてました。おかげで英語の読み書きが上達しました。

私のインターネットへの関心はどんどん高まり、ついにウェブサイト作成コンテストにまで参加することになりました。

私は情報教育の先生に勧められて、ThinkQuestというウェブサイト作成の世界コンテストに参加することにしました。サイト上の「チームメーカー」なるシステムを使って、とにかくいろんな人に「こんなサイトを私は作りたいから、一緒にメンバーになってほしい」とつたえない英文で声をかけまくりました。若さゆえに怖いものなしだった私は、自分の英語がどれだけ合ってるのかもよく分からないまま、電子辞書片手に英文をつくって、アプローチしまくりました。

今書いていても当時の興奮が思い出されるほど、ワクワクする経験でした。

私の熱意が伝わったのか、世界各地の何人かの高校生が返信をくれて、チームが結成されました。カナダ人の男子高校生、南アフリカ人の男子中学生、私の3人チームで、私の高校の先生と、インド人の大学生がコーチについてくれました。超インターナショナルなチームが、ネット上で結成されたのです!(パチパチ)

ちなみに、そのときつくったサイトは、運営者の都合でサーバーから消えてしまっているのですが、中国の歴史について紹介するサイトでした。

私は当時『ワイルド・スワン』という文化大革命を経験したユン・チアンによる手記にいたく感動して、中国の歴史にはまっていたのです。

中国の歴史についてのウェブサイトを、英語で、遠隔の高校生たちと一緒につくる、という今から考えても何が私を突き動かしていたのかよく分からないプロジェクトに、私はどんどんのめり込んでいきました。

高校の先生に紹介してもらった中国人の文革経験者に英語で手紙を書いて、返信をサイトに掲載したりもしました。図書館にたくさん通って、日本語で調べ物をしたあとに、それを英語に翻訳しました。それらを受験勉強と並行してやりました。

あの頃の体力は、私にはもうありません(笑)。

ついに、チームメンバーと対面を果たす!

さて、こうして努力に努力を重ねた結果、我々のチームの作品はファイナリストに選ばれて、なんとロサンゼルスの授賞式にまで招待されました! 興奮して、もう死にそうでした。

他のチームメイトとはネットを介して、しかもテキストベースでのコミュニケーションしかしていなかったので、それまで会ったことも、ましてや声を聞いたこともありませんでした。

こうして授賞式に招待され、世界各地からロスに集合した我々。ユニバーサルスタジオ近くのヒルトンホテルが宿泊、最終審査、授賞式の会場でした。

私は胸を高鳴らせながら、半年ものあいだ、ともにネット上で苦労を分かち合ったチームメンバーたちと初対面しました。なお、半年ほどもネットでコミュニケーションをとっていた結果、私は英語のライティングとリーディングは結構、自分でも満足いくほどに上達していました。

ついに感動の初対面を果たした我々のチーム。

しかし、大きな問題がありました。

私は、彼らの話す内容が、ぜんぜん聞き取れなかったのです。

悲しいほどに聞き取れませんでした。彼らも「あれ、チャットではスムーズにコミュニケーションとれてたのに?」という感じで、困っていました。

口頭で行われた最終面接もひどいものでした。他のメンバー(彼らは英語が母語)がカバーしてくれたけど。地元の生徒へのプレゼンや、他のファイナリストとのコミュニケーションも、満足のいくものではまったくありませんでした。

私たちのチームは、ファイナリストの中ではもっとも低い賞の銀賞を受賞しました。

ファイナリストに残って、授賞式にまで招待されたのは参加者の1パーセント以下ですし、十分誇らしいことなのですが、私は最後の最後でまったく力を発揮できなかったことに相当落ち込み、授賞式のあとは自分のホテルの部屋に戻って大泣きしました。自分がチームの足を引っ張ったのだと思いました。

そして、世界各地から来ていた同年代の優秀な学生を前に、強烈な劣等感を感じました。彼らの中には、ハーバードだのスタンフォードだの、世界のトップの大学への入学が決定している人も結構いました。私も留学したいと思いました。それは結局、その後も叶うことはなかったのですが。

英語をがんばる日々が再スタート

強烈な敗北感と劣等感だけを得て、日本に帰国した私。

迎えてくれたみんなは「すごいね!」と褒めたててくれたものの、私はそんな気持ちにはまったくなれませんでした。

自分が通っていた学校ではずっと優等生だったものの、世界トップレベルの超優等生を見てしまった私は、なんとかして彼らのようになりたいと思うばかりでした。

こうして、私はさらに英語をがんばるようになりました。

とにかくリスニングとスピーキングがダメダメだったので、とはいっても留学したり語学学校に通う費用もなかったので、英語学習用の教材をたくさん借りたり、買ったりして、CDを聞き、音読したり、シャドーイング(CDから流れる声のあとを追って、話すこと)したり。こういう質問をされたらこういう風に答えようと、一人インタビューを自分の部屋やお風呂の中で繰り返してました。

たくさん聞いて、たくさん話す。これをひたすら繰り返してたら、いつの間にか結構流暢になりました。大学卒業後にカナダに1年滞在しましたが、カナダに向かう頃は既に結構スピーキングも上達していました。

それでも、英語の勉強というのは果てしない。

今だって、知らない単語に毎日出会います。相手の言ってることが聞き取れないこともあります。

その頻度はどんどん少なくなっていますが。

とにかくたくさん読んで、書いて、聞いて、話す。それを地味にコツコツ続ける。それしかないんだな、と今でも思います。

1年前、私は久々にアメリカに行きました。スタートアップ文化を体感したくて、サンフランシスコとシリコンバレーへと。その時、私は10年ぶりに、あのとき一緒にチームを組んだインド人のコーチと再会しました。彼はちょっと前にグーグルを辞めて、アプリづくりをしていました。

私たちは10年ぶりの再会を喜んで、公園でブリトーを食べながら、おしゃべりをしました。

「あのサイトを作ってたとき、チームの中で君が一番がんばってたよ」と彼は言ってくれました。
「うん。でも、銀賞に終わってさ、すごく悔しかったんだよね…」
「うん、それも知ってる」

10年ぶりに会ったその彼とは、いろいろな話に花が咲きました。初対面した15年前は、まったく言葉を交わすことができなかったのに。英語の勉強を続けていて、本当によかった。

Keep learning. 🙂

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